編集後記

雑感を書き連ねていくにあたり適当な表題がみあたらず考えあぐねていたが雑誌の最後に編集者が書くあれ、そう、編集後記というやつが手ごろということに相成った次第。べつに大した編集なんかしてないのに。あしからず。


20050501
Andy Martin の巻 その2 

●4月30日はSDJOのLiveに行った。早めに行ってリハも見学させていただく。完成度の高いリハで、SDJOでのAndyさんの素晴らしい演奏にあらためて感動。
●まあ、それはさておき、いや、さておいてはいけないほどにすごいのであったが、さておき、もっとすごいことになった。
●リハも一通り終わり本番までの空き時間、リーサラのトシコアキヨシポテさんと、さて、上のお店で楽器見ようかとか雑談していると、その横をANDYさんとWPJの黒坂さんが通過、で、ラーメン屋へ行く、おお、いっしょに行こうよと軽く誘われた。これはめったにない機会。ぜひ、ということで2人でついていった。大久保の天下○品でまあ、たどたどしく歓談しつつのラーメンすすりのと時は流れお勘定。ANDYさんはここは僕が払うよ(と英語でいったようないわないような。「えっ、そんな、恐れ多くも、だめですよ、そんな、払いますよ」と言ったんだが、いいよいいよと言ってお勘定。あらら、。ということで「アンディーマーチンさんにラーメンおごってもらっちゃった事件勃発」。これって、内容的には小さいが、登場人物的にはかなり貴重な体験だと思いますよ。ね。
●ステージは予想通りの楽しい雰囲気のなかまったく飽きる場面もなく終了。SDJOの皆さん、ANDYさん、黒坂さんお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
そのあと、SDJOさんの打ち上げにあつかましくも参加。SDJOさんのHPにもあるとおりもなさん宴会も上手でした。メンバーの方と話すと、なんだかんだ過去の繋がりがあってここでも感動しました。ANDYさんにはすばらしい演奏とヌードルありがとうございました!と一言二言。いやいや、ははは。といったかどうかはさだかではない。>写真こちら


20050429
Andy Martin の巻 

●AndyMartin の公開レクチャー&MiniLiveに行った。
●ウォームアップの方法、ロングトーンの方法、ふむふむ。で、なんといっても驚いたのはAndyさんはシングルタンギングで全部やっていると!。これは信じがたい。しかし、うそついて惑わそうとしているような人ではなく、とてもいい人。だから本当だ。念のため終わってから直接本人に尋ねたが、「そう。シングル。TuTuTuTu・・・・・」と言っていました。やっぱりほんとうだ。
●そして、なんと最後に一曲お隣で吹くという感動を味わいました。NoGreaterLove。仕事の途中で抜けてきたので楽器は持っていない、しかしMPは持っている。ということで借りたBach12で突然演奏開始。うん。さすがに上のAが出ない。とはいってもフォンタナさんのAが出ないのとはわけが違う。2コーラスほどやらせていただきAndyさん、郡さんへ。とそのときAndyさんは「次のコーラスでリズムストップしてやろう」「えっ、trade8じゃなくてですか?」「そう、リズムなしで」って、やべー。でもやっちゃいました。まあ記念に。で、笑って玉砕しつつ最後のところでつじつまあわせて、なんとかfinish。聴衆の皆さんごめんなさいでした。
●郡先生、河原田さん、関係者のみなさんありがとうございました。


20050227
Allen Hermann の巻 

●Allen Hermannさんの知名度はない。レアーなトロンボーン奏者。かくいうわたしもついこの間知ることになった。もちろんきっかけはフォンタナさんとのCD "THE JAZZ TROMBONE"を聴いた11月21日にはじまる。 (詳細はこちら) つい最近だ。ワトラスさんとの共演のちょうど1週間後である。こりゃ凄い。こんな人いたんですね。その11月21日以来ずーっと聴いてます。
●そうこうしていると、なにやら2月に物理学の用事で来日するとの情報を得ました。こりゃのがしてはならない。待つことしばし。
●そして、とうとう来日。追っかけしました。
●来日、同行のレポートというか感想文と記念写真は こちら。 いろいろと話を聞いたのですがそれはまたの機会に。
●えっ。これだけ?そう。これだけ。そのうちまとめます。  


20050227
BillWatrous はやっぱりBillWatrous がやっとの巻 

●そのうちまとめるといって3ヶ月も経ってしまった。
●11月14日、会場に到着したとたん廊下でばったりBillWatrous さんにでくわした。そのつぎはトイレ。とはいってもトイレで音だししてたのである。
●あとで聞いたはなしだが、ワトラスさんはデッドな部屋ではなくかなりライブな部屋での音だしを好むとのこと。それゆえトイレでウォーミングアップをしていたようだ。これは風呂場で唸ると気持ち良いあの感覚なのかもしれない。へたな人ならその効果は計り知れないのだが、あれだけうまい演奏ができるワトラスさんなのに。なるほどね。ひとつ学べた。
●ステージでも、楽屋でも、「マムシ」のお話が多かった。来日して「うなぎ」「寿司」をしょっちゅう食べていたようである。ここはちょっと真似できない。どちらも高価でそう頻繁に食べることはできない。ここは学べない。
●ステージリハーサル、そして打ち上げ、どちらにおいてもマイクのセッティングには念を入れていた。ハイを落としてくれという要求あり。なるほどね。ひとつ学べた。それからマイクの角度であるが、これは完璧にベルの軸と同一に向くようになっている。いや、している。なるほどね。
●音量はもちろん小さい。小さいというのは弱いということではない。音はくっきりしている。一時期Space Availableのアルバムを買ったときは、なんだかこもった音になったのかなあと思ったが、Live in Living Comfortで聴いたあの音でした。
●音量に関しては今回比較検証を実施。同一マイクによる録音レベルを後日綿密に分析したところ、両者の波形には大きな差が認められました。ワトラスさんは終始一貫してダイナミックスが安定しています。みごとに安定しておりレベルの標本みたいです。なるほど。これは収穫です。録音技術であのような一定音量になっているのではなく元から恐ろしく一定なんです。ひとつ学びました。
●今回お隣で演奏させていただいて反省する点は山のようにありますが、いちばんの反省はThere is No Greater Love , Blue Monkといった超有名な曲であるにもかかわらずテーマがまともに吹けないということが判明したことであります。テーマぐらいは覚えなくちゃいけません。
●なにはともあれ素晴らしい体験でした。また「うなぎ」「寿司」を食べに来てください。
●当日の記念写真を こちら に掲載しました。 


20041116
BillWatrous はやっぱりBillWatrous の巻 

●今回は音楽ネタ。
●11月14日、BillWatrous さんといっしょに演奏する機会をいただきました。7年前にコンサートを見たときとは違い、今回はお隣で演奏させていただくという仰天話題。記憶が薄れないうちにレポートしなきゃと思いつつまだしていない。近日中にupしたいわけで今困ってます。
●えっ。これだけ?そう。これだけ。そのうちまとめます。  


20040211
精算券売機は対策済の巻 

●前回の事件以降釣銭の計算は続けているがJR渋谷駅も学んだようだ。
●釣銭の出るすべり台にはガムが付けにくいように表面がツルツルなプラスチックテープが張られた。実際ガムを貼ってみれば実感できるであろうが、貼っているところをみつかると捕まるはずなのでやってはいない。かといってよびだしボタンを押し駅員がスリットのむこうから「どうしましたか?」とでてくることを待ち、この対策は良いですねというほどのことでもない。
●世の中、ちょっと暮らしやすくなったようだ。


20031228

精算券売機には気をつけようの巻 

●このところ都内に出かける機会が増えてきた。JR渋谷駅で学んだ事がある。
●自動精算の券売機のおつりがどうしても足りないのだ。きっちりとした性格のオレはその場でおつりの計算をしっかりしているのである。380円の精算で1000円札をいれたのにおつりが420円しかない。機械が計算をミスするはずはないとふんだ私はおつりの出てくる穴を探索した。あああった!100円玉が落下すべり台の途中で止まっている。そしてその部分にはガムが塗りこめられているようだ。一部分を削り取って口に入れ噛み締めてみればきっとなんらかのガムの味がほのかに感じられ、おお、ガムだ、ということが判明するだろうがそれは汚いことだし、そこまでしてこの謎の樹脂物体の素性を明らかにする必要はない。だからガムとは断定できないがこれはきっとガムだ。問題はもう100円足りない事だ。さっそくよびだしボタンを押し駅員がスリットのむこうから「どうしましたか?」とでてくることを待った。
●「どうしましたか?」 。 思ったとおりの登場だ。「おつり100円がガムにくっついてでてこない。」 と訴えた。駅員は装置の裏を開けなにやら指で押して、「これで出ます」といって閉めた。うむ。確かにでてきた。
●確かに出てきたがそのガムを除去する行動はなく、調整中への切り替えもなく、次のお客さんを待つ普通の券売機の顔に戻ってしまった。 都会の無情を感じたといえよう。そして私もその場を去っていった。
●その数日後、精算機に今度は五百円玉を投入した。投入口には「新500円玉は使えません」と書いてある。投入した500円玉が新なのか旧なのかオレは最近わからない。とりあえず入れたのだ。すると精算機は妙な行動にでた。500円が投入されたことで精算行動をとるでもなく、新500円だからチャリンと返却口に落ちてくるわけでもない、つまり、だんまり戦術を取ってきた。しばし悩んだ。が、そこは聡明なオレ。ガムだなぁ。と。そう、ガムだ。一部分を削り取って口に入れ噛み締めてみればきっとなんらかのガムの味がほのかに感じられ、おお、ガムだ、ということが判明するだろうがそれは汚いことだし、そこまでしてこの謎の樹脂物体の素性を明らかにする必要は今回もない。だからガムとは断定できないがこれはきっとガムだ。問題は500円玉が返ってこないことだ。さっそくよびだしボタンを押し駅員がスリットのむこうから「どうしましたか?」とでてくることを待った。
●「どうしましたか?」 。 思ったとおりの登場だ。今度はちょっと聞き方が難しい。ガムは見えるが500円玉はまったく見えないのだ。さらに「新500円玉は使えません」と書いてあるのに新500円玉を投入したという後ろめたさがある。だからちょっと弱気だ。「新500円玉を入れたと思うんですけどぉ戻ってこなくなったみたいなんですけどぉ・・・。」 と語尾を寂しげに訴えた。駅員は装置の裏を開けなにやら指で押して、「これで出ます」といって閉めた。おお。またしても確かにでてきた。
●確かに出てきたがそのガムを除去する行動はなく、調整中への切り替えもなく、次のお客さんを待つ普通の券売機の顔に戻ってしまった。 都会の無情を感じたといえよう。 私は当然隣の機械に移動して精算しその場を去った。いや。去る前に問題の機械に向かって精算しようとした客に「ガムがこびりついていておつりでない場合がありますから、気をつけたほうがいいですよ」と言ってあげた。おお。親切だ。渋谷駅に一筋の光が射し込んだ。
●精算機のつり銭排出部分にガムが塗られることはいまや日常茶飯事で、機械を停止して即刻清掃するより、そのままにしておけばつり銭通過でだんだん表面粘着性が落ちて問題にならなくなる。よって放置して良し!という見解がJRにはあるのかも。


20031213
Jim Pugh & 中川英二郎クリニック○×△□の巻 

●本日、米軍横須賀基地の中でのJim Pugh さんと中川英二郎さんのクリニックに招待していただき聴きに行った。ジョーさんとお昼に待ち合わせをして、ゲートを入り、ランチをおごってもらって13:00からスタート。と思いきや、演奏のリハーサルが始まった。これが50分ぐらい。いいのかなあ、こんなに時間とっちゃって。
●まあなんとかこれがおわってロブさんがジムピューの紹介。この紹介はパーチェイス大学のHPにある紹介文と同じだった。ようだった。さあ、はじまった。内容は第7艦隊のバンドの人全員が対象だったので、最初の30分ぐらいはトロンボーンのこと(先週の山野でのクリニックと同じ。ようだった。)だったが、そのあとがちがった。そう、挙手して質問!次は僕。みたいなコーナーとなり、そりゃもう延々と1時間15分にわたってQ&Aになってスタジオワークのこととかスティーリーダンのバンドのこととか、1970年代のウディーハーマンバンドへ入団したころのこととか、が続いた。ようだった。ジミーさんがバストロのことについて質問したりもしていた。ようだった。
●ようだったというところがみそである。すなわちそんなようだったのである。なにせオーディエンスは第七艦隊のバンドの外人ばかり、いや、そうじゃなかった、こちらが外人なのだ。しまった。包囲されている。
●だから、全部ネイティブの英語でぺらぺら○×△□○×△□■es△s△×?○×△□gets○△×m○△×yes△s△×?△。。。もぞもぞ、、○!%ummABC%well&■?yes△×?gets、ところどころでアールジェイじゃないウェインヘンダーソンみたいなtsの人(名前忘れた)が例によってギャグ話でHAッHAッHAッHAッHA!!と大声で笑ってたり、そりゃもう○×△□○×△□○×△□○×△□。で、5分間休憩となり・・・これはようだったではなく明らかにわかったのだ。みんな席立ったし、休憩してたから。
●で、そのあと4曲、さっきリハした曲を演奏。おお見事だ。美しい。16:50、かなり予定をオーバーして終わりました。最後に記念写真を撮って(あとでもらえるかなあ)ジョーさんに横須賀駅までおくってもらいましたとさ。みなさん楽しい時間をありがとう。


20031011
Carl Fontana 死去

●10月10日、なんとなく Rene Laanen さんのサイトを見に行ったところ、娘さんからのmailにて逝去を知る。ご冥福をお祈りいたします。75歳。
本日ITAのニュースをみたところ、9日だったということがわかりました。

以下ITAの抜粋です。   http://www.trombone.net/default.asp
Fontana Passes Away in Las Vegas
 Carl Fontana, one of the true legends of the trombone world, passed away Thursday, October 9, in Las Vegas. He was 75 years old.

とても残念ですが、fontanaさんの歌うフレーズは永久に不滅です。これからもフレーズの研究は続けますよ。


20030719
Happy Birthday!! Mr. Carl Fontana

●7月18日はカールフォンタナさんのお誕生日です。いや、昨日だったんで「でした。」が正しい。しまった。こういったメッセージは誕生日にめがけて事前に出すのがふつうだ。ところがどっこい、この更新不精のおかげで記念すべきお誕生日を過ぎてしまった。しまった。しょうがない、おめでとうございましたというしかない。ご存知とは思うがフォンタナさんはアルツハイマーでもう演奏はできくなってしまっている。お体に気をつけてお過ごしください。


20030419
たまにはANDY MARTIN・・そしてロソリーノ

●ANDY MARTINさんを知ってますか?西海岸のBIGBANDのCD上でよく目にします。彼の演奏の印象は、「5線の中でもアドリブをするめずらしい人」です。結構こういう人いないんですよね。6ポジションのCとかが出てくるんです。フレーズも美しく音量も適量でなかなか好きなプレイヤーです。今回のこのCDはカルテットのコンボ演奏です。ANDY MARTINの演奏にハズレはないので(写真を見ると真面目そうな顔をしているから)安心して買いました。やはりとてもまじめで良いアルバムでした。さてと、1曲目は「CARL」。そう、ビルホールマンがKentonバンドに在籍中のカールフォンタナのフィーチャリング曲として書いたとのことです。こりゃ聴いてみたいですね。なんたってこの曲は1956年の3月から5月のKentonBAND欧州演奏旅行中だけに演奏されたとのことで、Kentonのアルバムとして残ってはいないそうです。つまり当時の海賊版でも出現しない限りfontanaさんの演奏する「CARL」は聴くことができないわけです。ところで、fontanaさんはその後この「CARL」という曲を演奏してないみたいですね。ひょっとしてそんなに好きな曲じゃないのかもしれません。そうです。そんなに好きじゃなかったんでしょう。(ビルホールマンには言えなかったでしょうが)。この曲は12-12-8-12小節のAABA形式でなんですが、なんとなくメロディックではなく、優しく歌うような曲じゃないのでそう感じました。やっぱりシンプルなウタモノのほうがイイですよねfontanaさん!
3曲目にDOXYがはいってました。うーん、懐かしい。この曲はロソリーノがやってる!そうだ、探そう。おお、見つかった。
●DOXYはI Play Tromboneにはいってます。うん。この感じだ、ミュートも使って同じ雰囲気じゃないですか。Rosolinoさんもいいですよね。なんたってこの特徴あるタララカタララカテレレケテテレレケがねえ。そうだ、ちょっと横道にそれるけどRosolinoといえばFOND MEMORIES OFでしょ。メトロポリタンオーケストラとのコルコバードいいよねえ。探そう探そう。おお、みつかった。
●オーケストラバックに演奏っていうとふつう考えるとソリストがテーマ吹いて中間でオーケストラが朗々とソリみたいなとこがあって...起承転結...を連想するんだけど、このRosolinoさんはいいねえ。ドゥレドゥラドゥレドゥラドッドチィーラチィーーートットテーーーェーー。だあ。で、後半がさらにいい。短いブレークが何回もでてくるけど、うれしくなるフレーズで。すごいなあ。結にならずにフェードアウトだ。このあとの録音テープのこってるんだったら聴いてみたいもんだ。もったいない。ついでに一曲戻してVioletsを聴いてみることにしようっと。(次の枯葉とか始めのほうのALL THE THINGS YOU AREあたりはsoloが長いんでエネルギーつかうんです。今はパス。そう、今は癒し時間なもんで。)おおお、うつくしいー。で、これもフェードアウト。このあとの録音テープのこってるんだったら聴いてみたいもんだ!ここで終わりとはもったいない。
●こうして聴くとバイオリンとかハープとかの音って美しいですね。癒されますね。ハハ。それはそうと、コルコバードでズっーとトライアングル叩いてたメトロポリタンのパーカッションの人ご苦労様でした。よかったですよ。
●久々に更新となった。光陰矢のごとし。ここ最近、絶対音感に続いて「癒しのモーツァルト」関係の研究中なんです。ハハ。これ関係の雑記はまたの機会に。ってことで光陰矢光陰矢南無南無南無南無。(←特に意味はない)


20030319
相対時感=「脳内記憶時間感覚相対性理論」その3

●ほら、あっと言う間に2週間と2日がたってしまった! 経過時間は0.3mm+少々だ。こんな調子で光陰矢のごとし。
●今回のダシモノはSFショートショートだ。かなり以前に夢を見て起き上がったと同時に書き上げた作品である。夢なので場所・登場人物・持ち物などすべてが支離滅裂に変化する。物語の途中を端折ったわけではない。なにしろ起きてすぐ書き留めたのでまちがいはないのだ。おもしろい。ビミョォー <ショートショートへ>
●いかがでしょう。


20030226
相対時感=「脳内記憶時間感覚相対性理論」その2

●ほら、あっと言う間に2週間がたってしまった! 経過時間は0.3mm程度だ。こんな調子で光陰矢のごとし。さて今回は、20030207で書いた「環境による錯覚(これについてはまた別の機会に述べる)もある」についてである。
●百聞は一見にしかず。そう、目に焼き付いた記憶は相当なリアリティーを持っている。小学校2年の夏休みに行った海水浴。そうだ、あのときは従兄弟のXXチャンといっしょで、クラゲに刺されて2日目は恐怖におののき泳がずに海岸にあった簡易遊技場でドライブゲームをやった。うん。覚えてる。
●さて、これは本当にその場面を思い出しているのだろうか。いささか疑問である。というのは、その場面というのは8mm映写機(当時ビデオなどはもちろんナイ。国土交通省の大臣が「私にも写せますっ。フジ○シングルエーイト」もまだなかった)に写っていたり、記念写真があったりするのだ。この資料?を見ながら親から「このときはたいへんだった、伝々・・」と何度もなかば拷問のごとく聞かされているうちに実際の自分の記憶であるかのような錯覚をしてしまったのではないだろうか。なんたってこの洗脳期間は旅行から帰宅しfilm現像が終わって手にしてから5年間ぐらいは続くはずだ。洗脳期間は長いのだ。
●以上は推測であり、自分でも実記憶なのか洗脳記憶なのか線引きできない。が、これは十分考えられることなのではないだろうか?そしてこの洗脳記憶期間は時間感覚ものさしに加えてはいけないのです。いかがでしょう、自信を持って線引きできますか?


20030212
安すぎるLANボード=塩バタコーンラーメンか

●LANボードを買いに行った。まあ、安いだろうとは思ったが@850で買うことになるとは思ってなかった。おいおい、どうしてそんなに安いの。まあ基板はロープロファイル対応でメチャクチャ小さいし、載っている部品だってリアルテックのchipとコネクタとその他モロモロの部品だとなればたいした原価じゃあない。しかし、これ作って袋に入れて箱に収めて利益のせて問屋通して最後にお店で利益のせてその結果がだ、え、@850也! ・・安過ぎるよ。デフレだよ。
●まあ、10年前と比べちゃいけないが、当時だったら4万〜10万ぐらいはしていたはず。しかも分厚いマニアル読んで大格闘して何とか繋がるという難解な代物だった。それが850円で付属のCDをお皿(トレイ)に乗せて「はい」「はい」とenterを押すとすぐ繋がっちゃうとは。(実はISAのモデムボードを抜かずにsetしたもんだからとリソースぶつかって立ち上がらなかったという場面はあったが..)
●ところで世間では「当時ラーメンが一杯250円のときですから....」というようにラーメン価格をものさしに使うことがよくある。で、今2003年はラーメン一杯はいくらなんだろうか?560円ぐらいでしょうか?なんかサクラ前線みたいに基準になるラーメン屋さんがあるのでしょうか?または、日本ラーメン振興協会とかあって日本標準ラーメンの平均価格年次統計発表とかあるんでしょうか?


20030207
相対時感=「脳内記憶時間感覚相対性理論」

●音高の絶対音感はちょっとおいといて時間感覚についての見解だ。歳とともに時の経つのは早くなる。といわれている。確かにそう感じる。これはなぜか。そう、それは時間の感覚が記憶との相対感覚だからだ。と確信している。
●自分で感じる時間感覚は自分の持っている記憶がものさしとして使われると考える。すなわち、今まで生きている期間が分母となって現在の時間感覚が分子となるということだ。
●例えば10歳における1年間は、 1年/10歳 = 10% 、50歳における1年間は 1年/50歳 = 2% ということであり、両者とも30cmのものさしで計った場合は3cmと6mmとなる。(30cm以上の長さは世の中にない!俺は知らない!という前提)
●ここでなるほどと言ってはいけない。今の説明は簡略化した説明なのだだ。もう一歩踏み込んでみる。あなたは1歳のときのことを記憶してますか?きっとないと思う。せいぜい小学3年生あたりではないだろうか。これは個人差と環境による錯覚(これについてはまた別の機会に述べる)もあるが、とりあえず3年生の頃だとしておく。するとものさしの0mmのところが小学3年(8歳)から始まる。よって、先ほどの計算をやり直す。
●10歳における1年間は、 1/(10−8) = 50% 、50歳における1年間は 1/(50−8) = 2.4% ということであり、30cmのものさしで計った場合は15cmと7.1mmとなる。驚くべき差が生じることがわかるだろう。これが相対的時間感覚の秘密だったのだ!小さい頃は1年が15cmあったから1ヶ月にしたって1.25mmもある。ところが50歳では1ヶ月は0.6mmというとんでもなく短い長さになる。こりゃ短いや。
●以上、「脳内記憶時間感覚相対性理論」はオレが20年程前に発見した持論であるが公に発表していないのであまり知られていない。わはははは。 いかがでしょう。


20030206
移調楽器のこと

●音名と階名の双方で「ドレミ」と呼んでしまうことに加えて管楽器の合奏では移調楽器のことがさらに加わってくる。Bbのトランペットとかテナーサックス、Ebのアルト、バリトンサックスだ。幸いおれはなぜか実音で記譜されるトロンボーンだったことで高校のときから他人の問題としてかかわっていなかった。隣でユーフォニウム(最近ユーフォニアムと記されているようだ)のやつがト音記号でドと書いてある音符を見てBbの音を平気で出しているのには驚いた。よく吹けるなあと思った。(当時は絶対音感のことを認知していなかったのでCという音符でBbを平気で吹くこの姿は異様なものだったのである。) トロンボーンでよかったよかった。と思った。がしかし今にして思えば本当によかったのだろうか?これが災いし移調についての勉強をおろそかにし無学のまま歳を取ってしまったともいえる。悔やまれる。ああ悔やまれる。しかし楽だった。はは。
●ちなみに最近絶対音感のある某マルチリードプレイヤとトランペット吹きにインタビューしたのだが、やはり最初は悩んだそうだ。ドの音はドの音であるべきなのにシのフラットだ。どうしてだ。のように。(ここでいうドは音名です。)しかし、しかしである、慣れればできるようになるし割り切れるようになる!と。おおおお、結局慣れればできるんですね。ただし、その移調楽器を握ったときであり、ピアノに向かっているときは難しいともいっていた。
●話を戻して移調楽器での合奏風景。
trb:「ねえ、17小節目の4拍目でどうも半音ぶつかってるみたいなんだけどアルトは何の音だしてるの?」
As「うーーん。4拍目はベー」
trb:「ああ。ビーフラットね。それって実音で?」
As「うん。そー。アルトでソ」
trb「じゃ、いいんだ。じゃーペットは?」
しばし考えて...trp「ドだから実音ビーフラだ。」
ちなみにこの曲はFでありtrpの人は移動ド読みなので譜面ではファと読んでいたものを頭のなかで変換していたのだ。それにしても、吹奏楽出身とジャズ研出身と移動ドで楽器を習った年配で会話するドイツ語英語ラテン語が乱れ飛ぶこの普段のやり取りはすごいものがある。(しかし、イロハ日本語だけは出てこない) いかがでしょう。


20030204
絶対音感の弊害?

●さて、自分はどうなのかというと幼少のころオルガンかピアノを習っていたので(自分では幼少初期の記憶がないのでよくわからない)絶対音感はある。固定ドのドレミ白鍵読み(ex. DもD#もDbもみな「レ」と読む)。ただし、だいたいの絶対であり、楽なほうへ勝手になびく絶対音感である。どうなびくかというと例えばBメジャーとか調号の多くなるキーはその隣の楽なCとかBbキーの曲として聞こえてくる。当然この程度の音高誤差を許容している絶対なのでA=440Hzであろうと445Hzであろうと「気持ち悪くなる」ようなことはまったくない。
●さて、今年になっていろいろな文献を読み、今ごろわかってきたのであるが、この絶対音感を持っていたことでおれは音楽理論を誤解していたことに気がついた。いろいろあってサラリとは書けない。いっぱいあったのだ。
●さて、なぜ今まで気がつかなかったのだろうか。原因は何だろう。考えてみた。そうだ。学校で教えてくれなかったんだ。せめてドレミ音名で「ドレミ」と覚えてしまった生徒、絶対音感が着いちゃった生徒には、「階名でのドレミ唱法も必要なんですよ」ぐらい教えて欲しかった。音大にいかないと教えてくれないような難しいことじゃないと思うんだが。
●さて、原因を昔の音楽教育に転嫁し、めでたしめでたしシャンシャンとしたいところだが、オイッ、コラ、どうしてくれるんだ!俺はどうあがいても音楽が聞こえてくると固定ドのドレミ音名が頭のなかに浮かんできちゃうのだ。歌詞より先に。
●さて、では絶対音感はいけないものかといえばそんなことはないと思う。必要なのは絶対音感がついた後にできるだけ早く相対音感についても学習し理解しておかないといけないのではないかということである。ついた後といった理由は、絶対音感は幼少期につくものであり、相対音感についてはある程度理論的お勉強になるからである。と思っている。それにしても、音名も階名も「ドレミ」と呼称するのは早いところやめましょう。


2003012
絶対音感の絶対ってどの程度の絶対?

●絶対音感という単語の響きはかなりキツイ。「絶対」という語がキツイからだ。「絶対か?」、「本当に絶対なんだな?」と問われると普通の人だと安易な肯定回答発言はちょっとできなくなる。農耕民族日本人であるからして村八分を恐れてのその回答。姿勢としては正しい。
●「絶対」とは、他に並ぶものがないこと。何物にも比較されないこと。比較や対立を絶した存在であること。無条件。必ず。決して。・・となっている。詳しくは国語辞典に譲る。
●「絶対零度は−273.15℃である。」のように 学問的数値的に裏付けされ、だれもが納得するしかない絶対。また、「上官の命令には絶対服従だ。」のごとく納得の有無に一切関係なく「なにがなんでも」という絶対。このようなニュアンスである。さてと「絶対音感」の「絶対」だとする「音感」とは何のことをさすのだろう。
●「あなたは絶対音感ありますか?」と質問をするとほとんどの人はまず「ないよ」と答えるようだ。農耕民族日本人の村八分に対する恐れによるものだけでこうなるとは思えない。そう、「絶対音感」という語の定義を自分なりにかなりキツク定義してしまっているからではないだろうか。曰く、「机を叩いたその音はD#のちょっと低い音」とか「439HzのAの音を聴いていると気持ちが悪くなる」とか。このような情報から自分なりに「絶対音感」の「絶対」とはそのぐらい凄い超人を指しているんだなあ。すごいんだなあ。わたしにはありません。と。ところがどっこい、「絶対音感」の「絶対」だとする「音感」の基準根拠は、はっきりしていません。世界的に曖昧なのである。
●曖昧その1:基準の音高(周波数)は何なのか?A=440Hzなのか?いや、最近では明るく華やかに聴こえるといわれる442Hzがいい? いや、ベルリンフィルあたりでは445Hzまで上昇しているらしいから先取りしてそのあたりがいい?
●曖昧その2:音律は12等分の平均律でいいのか?美しくハモる純正律ではなくていいのか?
●このような曖昧な状況で「絶対」という語を用いるのはあまりよろしくないのではないだろうか。しかし、他に当てられる語彙もないしなあ。
●幸いなことに、絶対音感の最後の一文字は「感」である。「って感じー!」という今風の女子高校生的軽い結びの語だと解釈することで先頭2文字のキツさを多少なりとも打ち消しているということで許すことにしよう。


20030123
音名と階名、移動ドと固定ド=なかなかやっかいな日本=混乱をおさめたい

●最近、絶対音感への興味から派生して音名についてのことを研究(おおげさー)している。現段階でわかってきたことは音名と階名双方に「ド、レ、ミ、・・・」という呼称を使ってしまっているのは日本だけのようである。困ったことだ。時すでにおそく、おれはいつのまにか何らかの幼少時教育課程で「音名としてドレミ」を記憶してしまっている。(つまり固定ド」になっている)それゆえ移動ドというのが苦手である。ハ調以外の音符を見て階名で呟くことができない。このような混乱を次世代に持ち越さないために、早く手を打たねばならないと感じている。
●結論から言うとおれの提案は次のようになる。ただし、あくまでも現段階の浅い研究調査レベルでの提案であることはお断りしておく。

1.音名(音高名)の幹音(ピアノの白鍵)はA、B、C、・・・(英語読みのエービーシー)とする。
2.シャープはCis、Dis、・フラットはCes、Des(ドイツ語読みのツィス、ディス、ツェス、デス)とする。
3.階名は従来通りのド、レ、ミ、・・・とする。
4.イロハ・嬰・変表記は順次廃止する。

●補足すると、固定ドはやめる。ドレミといえばそれは階名なのだとする。つまり移動ドに統一する。音名はドレミではなく英語のABCとする。が、しかし、そうしたいがひとつ問題がある。英語では半音上げ(下げ)した音(ピアノの黒鍵)の呼称が2語になってしまう。(ex「シー・シャープ」「イー・フラット」のように)そこで、ここは優れたドイツ語読みを採用。これにより12音名をスパッと言える。
●これにともない、すでに枯れている日本語「イロハニホヘトチリヌル・・・」と難しい漢字の「嬰」と変な「変」はやめ英語にする。つまり、「変ロ長調」ではなく「ビー・フラット・メジャー」とかにする。
●いかがでしょう?


20030119
楽しいレコード買った!

●17日にディスク○ニオ○でKaiWindingのすごいLPレコードを見つけた。「Dirty Dog」というアルバムである。なんたってメンツがすごい。Kai Winding , Carl Fontana , Urbie Green , Bill Watrous だ。リズムセクションは、ピアノHerbie Hancock、ベース Bob Cranshow 、ドラムスGrady Tate とTromboneのメンツで驚かなかった人でも驚ける有名で強力なメンバーだ。(GuitarはBuzzy Bavarian=知らない人)
●さてお値段は\3,000。ちょっと躊躇したがジャケット裏面の解説を読んで「こりゃあ面白いことまちがいなし!」と思い買うことにした。その解説をかいつまんで翻訳すると次のようなものだと読んだ。(注:すべての英文を理解してかいつまんだと思われては困る。英語が不得手なおれとしては辞書なしで、できるかぎりの翻訳を試みたのだ。その結果であるゆえ「かいつまんだ」というより「虫食いつまんだ」翻訳をしただけなのである。)・・・では、37年前=1966年のこの作品。解説は次のようになる(と思う)。
●ちまたの音楽は常に変化していく。このレコードは最先端だぞ。なんたって電気楽器使ってるんだ。フェンダーベースだぞ。まいったか。ロックバンドみたいなリズムセクションなんだ。すごいだろ。選曲だって、1曲以外はニューヨークのプレイボーイクラブで○△×してるヒップな曲だもん。KaiはJAZZとロックとPOPの境界を乗り越えた!。Kaiは今ピュアなJAZZじゃなく聴衆とかマネージメントをハッピーにすることで成功している。Kaiはデンマークで生まれた。で、ベニーグッドマンBANDとかスタンケントンBANDにいたんだ。50年代中頃、ほらあのJ&Kで有名になったの知ってるよね。そうこうしてきたわけだけど、60年代の現在、Kaiは忙しい。なんたってTVとかラジオの商業的な活動のプロダクション作ったりしてさ。・・・ってことで君、このアルバム聴いてみな!
●いかがでしょう?もちろん正しい翻訳ではありません。ただ、なんとなくだけど、コマーシャルっぽい匂いがプンプンプンしませんか。おれは店頭で匂った。 聴いた感想は・・・こちらreviewへ


20030113
低音重視の音楽時代到来?

●最近のちまたに流れる音楽は妙に低音が強調されているような気がする。なぜだろう。ひとつ考えられることはパワフルな低音が発生可能な電子楽器が登場したからではないだろうか。いや、楽器といってしまったがこれはもはや楽器ではない。「電気的低音簡易発生装置」とでもいおう。鋭い立ち上がりといつまでもへこたれない持続力をそなえている。オーケストラにおけるティンパニー、大太鼓、そしてコントラバス、チューバ、アコースティックジャズバンドにおけるバスドラ、アコベー、ピアノ最低音鍵盤の左肘打連打といった低音楽器では到底なしえないことが指一本(一本とは限らない)でいとも簡単に出来る。生楽器はもはや敵ではない。
●しかもこの装置は電気的にコントロール可能(プログラマブルかつ再現性アリ)であるため音楽メディアを供給する録音エンジニアにとってもメリットはある。予期せぬ事故、すなわち大音量で録音ピーク値を超えて歪んでしまう...ことが未然に防げるのだ。わがままで気分次第で日によってどの程度の音を出すのかわからないバンドマンを集めたスタジオ録音とは大違いだ。録音エンジニアまたはコンポーザは電子装置を歪まない最大音量にプログラムさえすればズーーーっと大きな低音が出ることになる。
●実はこの低音指向は、電子楽器メーカーとオーディオメーカAVサラウンド普及サブウーハー推進委員メンバーと音楽ソース制作会社による生楽器バンドマン撲滅新音楽産業団体とCIAが仕組んだ陰謀だったのだ。
この陰謀に徐々に慣らされた現代人はこの低音増強を、「迫力のある」「陶酔できる」「パワフルな」「重厚感のある」「最新の」音として認知させられてしまった。そしていつのまにか低音増強サウンドを良しとし、低音が出ていないサウンドを貧弱な音楽と錯覚していくようになった。これが時代の流れというものか。まったく。はめられた。
ああ、おれも豊かな低音のでるスピーカーが欲しいなあ。



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